被害者マウントはなぜダメなのか

【被害者マウントはなぜダメなのか】

〜可哀想な自分に執着すると人生が止まる〜

SNSを開けば

・どれだけブラック企業だったか

・どれだけ酷いことをされたか

・どれだけ人間関係で傷ついたか

まるで不幸の大きさを競うような投稿が

並ぶことがあります。

もちろん

本当に理不尽な経験をした人もいます。

苦しかったこと。

傷ついたこと。

裏切られたこと。

私は

それ自体を否定するつもりは全くありません。

しかし

「被害を受けたこと」と

「被害者であり続けること」は

別の問題だと思っています。

【被害者マウントとは何か】

被害者マウントとは

自分の不幸を使って優位に立とうとすること。

・「私の方が苦労している」

・「あなたは恵まれてるから分からない」

・「あなたは私ほど辛い経験してないでしょ」

こうして

人は不幸の量で

上下関係を作り始めます。

すると会話は

問題解決ではなく

「どちらがより可哀想か選手権」

になっていきます。

【なぜ人は被害者ポジションに執着するのか】

ここには

じつは心理的な報酬があります。

心理学ではこれを

二次的利得(セカンダリー・ゲイン)

と呼びます。

本来は苦しいはずなのに

・心配してもらえる

・優しくしてもらえる

・責任を免除されやすい

・注目を集められる

こういった見えないメリットが発生する。

すると脳は

無意識に

「被害者でいると得をする」

と学習してしまうのです。

これは非常に怖い状態です。

なぜなら

傷を治すよりも傷を見せ続けることの方

が楽になるからです。

【被害者マウントが危険な理由】

最大の問題は

人生が前に進まなくなることです。

本来

辛い経験とは

乗り越えるためにあります。

しかし被害者意識に執着すると

人は過去に固定されます。

「あいつのせいで人生が狂った」

「環境が悪かった」

「理解されなかった」

もちろん原因は相手かもしれません。

しかし

そこで思考停止すると

人生の主導権まで

相手に渡してしまいます。

あいつのせいにしている間は

人生のリモコンを

あいつに握られているのです。

私は時々

「人生のリモコン」

という表現を使います。

誰かを恨み続けている状態とは

つまり

自分の感情の操作権を

相手に渡している状態です。

相手を思い出すたびに苦しくなる。

怒りが湧く。

前に進めなくなる。

これは

あなたの人生のリモコンを

嫌いな相手に握らせているのと同じです。

本当に自由になりたいなら

どこかで

「自分の人生は自分で動かす」

と決めなければいけません。

本当に強い人は

被害をアイデンティティにしません。

強い人ほど

過去の傷を必要以上に勲章化しません。

もちろん忘れない。

でも

そこに住み続けない。

苦しみを経験したからこそ

・人に優しくなる

・視野が広がる

・強さが増す

・他人の痛みが分かる

そうやって

経験を価値へ変えていくのです。

被害そのものを武器にし始めると

人生は止まります。

人生には

理不尽なことがあります。

納得できないこともあります。

でも

「あいつのせい」

だけで人生を終わらせるのは

あまりにも勿体ないと思いませんか?

勘違いしてはいけないのは

私は無理に

あらゆることを許せ!

と言っているわけではありません。

理不尽を美化する必要もありません。

ただ

人生の主導権まで渡し続ける必要はない

ということです。
 

被害を受けた事実は消えなくても

その後どう生きるかは

自分で選べます。

そして本当の意味で自由になる

第一歩は

人生の主導権を自分の手に取り戻す

ことです。

【自己責任とは】

自己責任とは

自分を責めることではありません。

自分の人生を

自分で動かせる場所まで取り戻す

ということだと私は思います。

誰かを恨み続けるために

あなたの貴重な未来を

差し出す必要はありませんよね?

傷を勲章にするのをやめたとき

あなたの

本当の強さが目を覚ますはずです。

これからの人生のリモコンを

今日から

誰に握らせますか?

では最後にお待ちかねの川柳です。

可哀想

卒業した先

自由あり

byくさか